こんにちは!ムッシュです!
先日のジャニーズの記者会見でNGリストがあったという報道後の対応を見て経営者として思ったことをまたダラダラと書いていきますので、お暇な方は読んでくださいw
ジャニーズ問題に対しては特に思うことはないのですが
NGリストがあってそれについてこういうことがありましたという記事が見られるが
詳しくはコチラ
これ「NGリストがあるという事を知っていた」ということになります
そして記者達が紛糾しているシーンもあったが
その時点でジャニーズ側は記者に対してではなく司会進行に対して苦言を述べるのが本来の筋ではないでしょうか
「もしかしたら司会はNGリストの人を除外して指名しているかもしれない」と想像はできたはずです
ということは「NGリストがあったということを知っていたがジャニーズ側は関係ない」という体ととりたいがためのウソかもしれません
もちろん推測ですよw
「NGリストがあることをそもそも知らなかった」か「NGリストがあることを容認していた」のどちらかだと思います
前者だと責任逃れ感が強くでます、後者だとそもそもコンプライアンス問題になり今後の補償に誠実感が出ません
今後どうなっていくのか一人の経営者として注目していこうと思います
話は少し変わるのですが
「自分の正当性を主張するためにウソを言っても良い」こういう考え方の人多くないですか?
私は正しいことの為に議論をし妥当だとすれば現在やっていることを変更していくというのが正しい形だと思います
しかし世の中多くの議論は「自分の考えの正しさを証明する為」に行っているように感じます
この「正しいことの為」と「自分の考えの正しさを証明する為」とは全く別物なのはわかりますか?
正しいことの為は非常に客観性のあることです
そのためなら自分の意見が間違いだと認めることも十分にありますし、自分が今より不利になることもあり得ます
しかし自分の考えの正しさを証明する為では非常に主観的で自分の優位性を保ちたいし自分の意見の間違いを認めることもない
とにかく議論に勝ちたいというどちらと言えば戦術のような感じですね
少し脱線しますが戦略と戦術の違いわかりますか?
反逆のルルーシュってアニメであった言葉なんですけどねww
気になって調べたことあるんですよ
戦術はその戦いに勝つことです
戦略は目的を達成することです
目的のためなら自分が負けることも計画に組み込みます
アニメ見たことある人ならわかりやすいかもw
なので正しいことのための議論は戦略、自分の考えの正しさを証明する為の議論は戦術ですね
この時点でベクトルが違うのがわかるでしょう
そして自分の考えの正しさを証明する為の議論をする人の問題は、その議論に勝つためならウソをついても良い・関係ないことを言っても良いと考えてしまうことです
あるいは矛盾していることを平気で言ってしまうんですよね
そしてそれがバレて結局議論にも負けてしまう、人によってはそこから相手の人格・人間性を否定するようになりますね
議論では勝てない→自分の考えの正しさを証明できない→悪いのは相手でとにかくむかつく
というわけわからない方向に行く人も散見してますね
最悪なのはとにかく相手の足を引っ張ることに注力するようになってしまうことです
正しいことの為に行動している人にとって邪魔以外の何物でもありません
最近は広島の市議会の事がYouTubeでも多く取り上げられているみたいですが、あれが典型的な例だと思われます
もし気になった人はそれも見てみてください
余談ですが今はディベートとかで相手を打ち負かすのが良いとされている風潮もあるみたいですが、玉石混交なのでエンタメとして見る分は良いと思いますが、実際に行うのは注意が必要です
基本相手を議論で打ち負かす俗に「論破」というものは人間関係上あまり良いものではないからですね
正しいことの為に議論するのにむやみやたらに相手を打ち負かしていたら正しいことが出来なくなるからです
戦略的にみてそれは間違いの場合が多いと思います
いざという時はしても良いと思いますが注意しないといけません
さてダラダラと書いてきましたが
正しいことをしようとするとき特に組織としての場合、その話し合いは正しいことの為なのか自分の考えの正しさを証明するためなのか俯瞰して考える必要があるのではないでしょうか
という感じで締めたいと思います!
締まってるかな?ww
今日も明日も楽しんでFireへの道を歩んでいきましょう!
今回も読んでいただきありがとうございます!
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